第14回ビバホールチェロコンクール第1位受賞記念「柴田花音東京リサイタル」は、多くの観客を迎え大成功の裡に終えることができました。今回も東京養父市会の皆様のご支援をいただきました。お出かけいただきました会員の皆様に心よりお礼申し上げます。
思い起こせば、第1回ビバホールチェロコンクールを平成6年(1994年)に始めて早28年が過ぎました。
このコンク―ルを始めた経緯を少し書かせていただきます。
平成6年に、「但馬の祭典」という但馬地方の自治体(当時は1市18町でしたが、合併して現在は3市2町)がそれぞれ住民と一緒になって自らの町の特色を生かしたイベントなどを行うことになりました。
養父町(平成16年に合併して現在は養父市)では、平成2年にオープンした「ビバホール」を生かした取り組みが検討され、単発のイベントではなく、継続性のあるものをということで、オープン当時から、いつかはコンクールなど、若手の音楽家を支援し、発掘するコンクールをやりたいという分不相応なことを考えていましたので、この機会にやろうということになりました。しかし、当初は、コンクールをやったことのないものばかりの素人集団で、正に手探りの中での出発でした。審査員をどうするのか、募集は、宣伝方法は、コンクールの進行はなどなど、課題ばかりで、やろうと決めたことはよかったのですが、やるとなると想像を絶する状況でした。そして、日本では初めてのチェロ単独のコンクールが、田舎町の養父町で始まったのです。
その後の経過を書こうとすれば、膨大な量になってしまいますので、申し訳ございませんが、割愛させていただきます。
そして気が付けばあっという間に28年が過ぎ、コンクールも14回を数えるになりました。
ここまで続けることができた大きな要因は
○日本を代表する素晴らしいチェリストの先生方の力強い支援
○ コンクールを支えていただい た多くの市民ボランティアの皆様
○ チェロに関係する多くの皆様
○ コンクールを若手チェリストの登竜門として進める市行政
○ 交通なども不便な町に日本はもちろん世界各国からコンクールに参加してくれたチェリストの皆さん
多くの人々によって支えられたことです。
そして、当初は考えてもいなかった、第1位受賞者の東京でのリサイタルは、当時お茶の水にあったカザルスホールのスタッフの皆様からの声掛けでした。
第1回チェロコンクールにお越しいただいた、カザルスホールのスタッフの方から「第1位受賞者のリサイタルを東京カザルスホールでやれば受賞者が喜ぶことはもちろん、ビバホールチェロコンクールも評価される。カザルスホールとしてもコンクールを全面的に支えていきたい。」という、思ってもみなかった言葉でした。
しかし、ありがたいことではありましたが、東京でリサイタルをするにしても、宣伝・チケット販売などを行う組織もなく、どうしたらいいのかコンクールスタッフも養父町も悩みに悩みました。その時、一つの案が出てきました。当時、東京には養父町出身者で組織する「東京養父町会」(現在は東京養父市会)がありました。この会に、チェロコンクールの話をして、受賞者のリサイタルへの支援をお願いしてみようということになりました。
なぜふるさと養父町の田舎町が全国的なコンクールをすることになったのかなど説明する中で、「ふるさとの町がこれだけ頑張っているのだから、我々もできる限りの協力、支援をしてリサイタルを成功させようではないか」ということになり、「東京リサイタル実行委員会」を立ち上げていただき、リサイタルのスタートを切ることができました。
そして、今ではリサイタル毎に実行委員会を立ち上げていただき、取り組んでいただいています。今回のリサイタルも、実行委員長を中心に、精力的に取り組んでいただき、大成功となりました。
このように、小さな町で出発したコンクールは、その都度、多くの皆様の温かいご支援によって今日まで続けてくることができました。チェロコンクールに出場した多くの若手チェリストは、日本だけでなく、世界的にも活躍しています。今回の柴田花音さんも、カナダでのコンクールでも最高位の成績を収めておられます。
このように、ボランティアの手作りで始まった世界的にもまれな、チェロコンクール、リサイタルを継続するために、これからも多くの皆様のご支援をお願いするものです。
NPO法人ビバ・ドリームファーム
事務局 藤原 敏憲